【お名前】石尾さん
【年齢】68
【住所】滋賀県 大津市
【「親孝行大賞」のタイトル】
『「親孝行」の意味』
【「親孝行大賞」の本文】
父は、最初の3年間は寝たり起きたりの日々でした。その後の1年間は寝たきりとなりました。寝たきりになった頃から毎晩、父の脚をマッサージしたことを覚えています。
あれは雪が降り積もった夜のこと。私は眠くて目を閉じながらマッサージしていました。目を開けると、父が何か言っているようです。何度も聴き返して、やっと父の言葉が聴き取れました。
「もう・・・いいから・・・お休み」
この言葉を、父は繰り返していたのです。親孝行どころか、逆に気遣いをさせてしまいました。その2日後、父は帰らぬ人となりました。昭和37年2月9日。私は小学4年生でした。
父が少しは歩けた頃、父を支えて家の周囲を歩いたことがあります。みかん・梨・ざぼん・ぐみ・枇杷・無花果・甘柿・渋柿などの果樹が生えている庭を散策したり、背後に築山のある池の周囲や芝生の庭を歩いたりしました。
「節子のお陰で散歩ができたよ」
父は苦しそうな息をしながらも、とても嬉しそうな表情で言いました。あまり親孝行できないまま、父と別れてしまったなあ・・・中学生になっても、高校生になっても、その無念さがありました。
父が歩けた頃、仕事を終えた父と2人で近所の霊丘(れいきゅう)公園へ散歩に行くのが日課でした。私は父と手をつないで歩いたり、スキップしたりしながら行きました。公園に咲いている色々な花の名前を父から教わりました。無数の鯉が泳ぐ池、夕陽に染まる有明海や空を父と一緒に眺めました。海には海苔ヒビが何本も立っており、ポンポン船が走っていました。
「親孝行」とは何でしょう? 親に何かをプレゼントすることでしょうか?
私自身が親となり、2人の子供を育て終えて、初めて分かりました。「親孝行」とは「常に心を寄せていること」だと思います。父と霊丘公園へ散歩したことも、親孝行だったのかもしれません。